2017・3・19

富岡製糸場見学  

 世界遺産の富岡製糸場に行きました。高崎駅から上信電鉄に乗り、上州富岡駅で降りて徒歩15分の所にあります。
富岡製糸場は明治5(1872)年に操業を開始した世界最大規模の製糸工場でした。
明治維新を迎えたばかりの当時の日本政府は輸出品の要であった生糸の品質改良と大量生産が可能な製糸工場建設
を急務としていました。そこで横浜で生糸の検査をしていたフランス人のポール・ブリュナ氏にモデル工場の建設を依頼し
ました(明治3年)。ブリュナ氏は各地を視察後に養蚕が盛ん、広い土地がある、水が確保出来る、近隣で燃料の石炭が
豊富に産出しているということで富岡を建設地にしました。
ブリュナ氏は日本の大工の巧な技術と西洋の技術を合わせた建築工法を用い、また柱のない「トラスト構造」をヨーロッ
パから導入しました。これにより機械が大型化しても建物の建て替えをする必要がなく堅牢な建築がほとんど操業当初
のままで残されています。明治5年7月に工場の主要な建物が完成して、工女募集の通達を出しても、なかなか人が集
まらなかったとのことです。それは、人々がフランス人の飲むワインを血と思い込み「富岡製糸場へ入場すると外国人に
生き血をとられる」というデマが流れたためでした。初代製糸場長の尾高惇忠が娘「勇」(14歳)を工女第1号として入場
させて範を示したことで、旧士族の娘をはじめ、全国から優秀な女性が集まりました。これにより当初予定の7月より遅れ
て10月4日から操業が開始されました。途中、官営から数社の民間企業に払い下げとなりましたが、昭和62年3月(19
87年)に操業停止になるまで115年間にわたり製糸工場として活躍しました。
富岡製糸場は平成26年6月25日(2014年)に日本の近代化の象徴として世界遺産に登録されました。

                東置繭所(ひがしおきまゆじょ)国宝
  1階は事務所・作業場などとして使い、2階に乾燥させた繭を貯蔵しました。建物は木で枠組みを造り、柱の間に          
  煉瓦を積み上げて壁を造る「木骨煉瓦造」という工法で建てられました。使用された煉瓦は、日本の瓦職人が窯
  を築いて作り、煉瓦積みの目地には石灰で作られた漆喰を使い、礎石には切り出された砂岩が使われました。
  壁の煉瓦は縦と横を交互に積んでいく「フランス積」で積まれています。


              操糸所 (そうしじょ)国宝      

  操糸所は繭から生糸を取る作業が行われていた場所です。創業当初はフランス式の操糸器が300釜設置され
  ていましたが、ブリュナ氏が日本の工女用に台の高さを低く改良した特別注文の操糸器でした。
  小屋組みは柱のない「トラスト構造」で三角形を使って強度を保っています。柱がないので建物内部は広い空間
  が保たれています。
採光のための多くのガラス窓や屋根の上の蒸気抜きの越屋根など工夫されています。
  現在は、昭和41年以降に設置された、全行程が自動化された日本製の自動操糸機が保存されています。
   (480本の糸が巻き取れるニッサンHR型操糸機が10セット設置されています。)
  

  
   西置繭所(にしおきまゆじょ)
国宝

 
 建物の構造・大きさはほぼ東置繭所
 と同じです。カイコが繭を作るのは
 1年に一度きりなので大きな貯蔵庫
 が必要でした。現在保存修理中で、
 仮囲いの覆いの上に実物大の外壁
 写真が張られています。
   
  首長館(しゅちょうかん)ブリュナ館

 
 ブリュナ氏が家族と暮らしていた住居
 です。ブリュナ氏は明治8年12月に
 雇用契約が満了して翌年2月に帰国
 します。後に建物は寄宿舎や工女に
 読み書きや裁縫などを教える夜学校と
 して利用されました。
     
    女工館(じょこうかん)


 日本人工女に、器械による糸取りの
 技術を教えるため雇われたフランス
 人女性教師の住居として建設されま
 した。
ベランダの天井には板が格子
 状に組まれていて、当時の日本には
 ない工法です。


   
    検査人館(けんさにんかん)

 
 検査を担当したフランス人男性の住
 居として建築されました。後に改修さ
 れて現在は事務所として使われてい
 ます。
         
         診療所

 
 昭和15年に建てられた三代目の診
 療所です。当初の診療所ではフラン
 ス人医師が治療にあたり、治療費・
 薬代は工場負担でした。
    
     工女寄宿舎(妙義寮)

 
 昭和15年に建てられた三代目の寄
 宿舎です。もう1棟右側に浅間寮が
 建っていて、1棟に16室、2棟で32
 室あります。



        乾燥場跡地
 
 大正11(1922)年に建てられた、繭
 を乾燥させるための建物でしたが平
 成26年2月の大雪で半倒壊したため
 解体しました。今後修復にむかって
 工事が行なわれるようです。

 
          煙突

 昭和14(1939)年に建てられた、高
 さ37.5mの鉄筋コンクリート製の四代
 目の煙突です。煙で生糸が汚れない
 ようにするため、また従業員や付近
 住民への配慮から高くしたようです。


    鉄水溜(てっすいりゅう)

 製糸行程で使われる水を貯めておく
 水槽です。当初はレンガ造りでしたが
 漏れるようになり、輸入した鉄板を使
 い、造船のリベット打ちの技術を転用
 して作っています。
(400tの水が入る



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