
| 京都に行きました。三月中旬なので桜にはまだ早く、三度目ということもあり京都の町を歩いてみる ことにしました。泊まっていたホテルが四条通りにあったので、四条河原町からスタートしました。 |
| 四条河原町から四条大橋を渡り、南座を右に見て進み、花見小路を左に折れて白川、祇園新橋へ。 |
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| 四条大橋 | 南座 | 花見小路 |
| (尾上松也などの花型歌舞伎が上演されていた) | ||
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| 祇園白川 | 祇園新橋 | 辰己大明神 |
| (花街の風情が残っている) | (一階に格子、二階にすだれをかけている) | (芸舞妓さんが芸が上達するよう願かけをするそう) |
| 白川沿いの「なすあり」の径を歩いて知恩院の古門へ。古門を通り、華頂大学のある華頂道(かちょうみち)を進み 黒門前を右に曲がって浄土宗の総本山である知恩院の三門へ。 |
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| なすありの径にあったヤツデの実 | 知恩院古門 | 知恩院黒門 |
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| 本願寺発祥の地とされる崇泰院(そうたいいん) | 崇泰院の親鸞聖人旧御廟所の碑 | 知恩院三門(世界最大級の木造門) |
| 知恩院の南門を出るとすぐ円山公園です。有名な枝垂桜はまだ咲いていなくて蕾の状態でした。円山公園から八坂神社へ。 また円山公園方向に戻り、順路に従って高台寺へ向かいます。 |
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| 円山公園 | 円山公園の花のない枝垂桜 | 八坂神社鳥居 |
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| 八坂神社本殿 | ねねの道 | |
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| 舞妓姿で写真撮影していたカップル | 秀吉の正室ねねが晩年を過ごした圓徳院 | 北政所御殿跡の碑 |
豊臣秀吉没後その菩提を弔うために、正室の北政所(ねね、出家後は高台院湖月心尼)が徳川家康の支援をうけて開創した 高台寺を見て、順路に従い清水寺へ。二年坂、三年坂、清水坂を通って清水寺へ向かうが、土曜日の祭日だったので通りは 人で埋まる程の混みようでした。帰りは茶わん坂から下りてみました。 |
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| 高台寺 | 二年坂の道標 | 二年坂 |
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| 三年坂 | 清水坂 | 記念撮影する外国の人達 |
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| 茶わん坂 | 茶わん坂なので陶器屋さんが多い | 八坂の搭(法観寺 五重の搭) |
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| 二日目は四条烏丸からスタート、烏丸通を北に進み六角通との交差点で右に曲がるとすぐに六角堂(頂法寺)があります。六角堂は 昔の京都のほぼ中央地点にあり、聖徳太子の創建となる寺です。また生け花発祥の寺でもあります。昔この近くの池(聖徳太子が 沐浴をした)のそばに僧侶の住坊があり池の坊と呼ばれていました。それが現代の華道家元池坊のルーツとなっています。 また池坊の家元が代々六角堂の住職を務めています。 |
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| 聖徳太子建立の六角堂(頂法寺) | 本堂が六角形なので六角堂と呼ばれている | 境内のお地蔵さんと羅漢さん |
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| 境内に建っている池の坊会館 | 1462年池坊專慶が歴史上の記録に登場 | 桜のライトアッップと生け花展開催のポスター |
| 烏丸通に戻り、次の三条通との交差点を右に入ると歴史的建造物の中京郵便局と京都文化博物館があります。中京郵便局は 昔の建物の雰囲気を残したまま中を改装する「外壁保存」という手法を日本で最初に実施した建物です。明治35年に建設され た旧庁舎の外壁と屋根が保存されています。 京都文化博物館別館になっている赤レンガの建物は明治39年建築の旧日本銀行京都支店、国の重要文化財になっています。 |
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| 中京郵便局旧庁舎外観 | 京都文化博物館別館 | 小さな道路にも標識が |
| 三条通を更に進むと、麩屋町通と交差します。その昔、豆腐や麩類を扱う店が多くあった通りですが、今、この通りには、柊家(文豪 川端康成が愛した宿)、俵屋(コンピューターで有名なスティーブ・ジョブズの定宿)、炭屋、といった高級老舗旅館があることで有名 です。交差点を左に進み、柊家、俵屋を左右に見て通りを抜けると地下鉄東西線のある御池通に出ます。右に折れて進むと左側に 京都市役所があります。 |
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| 高級老舗旅館のある麩屋町通 | 御池通 | 京都市役所 |
| 市役所手前の信号の右手に寺町通があります。和菓子や和紙、古書、骨董などの老舗が多い商店街です。通りに入って間もなく 商店街の中に本能寺があります。織田信長が自害した本能寺の変で有名ですが、焼けた後に場所を移して再建されたものです。 |
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| 寺町通の商店街 | 法華宗大本山本能寺 | 度々の焼失の後1928年に再建された本堂 |
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| 大正六年信長公に正一位が贈られる | 信長公御廟所拝殿 | 信長公の墓 |
| 本能寺裏門を出ると河原町通りに出ます。河原町通りを南に進み、三条通との交差点の次の道路を左折して進むと坂本竜馬が 二階に住んでいた酢屋(当時から現在も材木商)があります。更に進むと森鴎外の小説「高瀬舟」で知られる高瀬川があります。 当時は川幅が現在の倍(8m程)あって、江戸時代の初期から大正9年まで300年間の水運に用いられた人口の運河です。 |
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| 坂本竜馬のギャラリーがある酢屋 | 高瀬川の大黒橋 | 復元された高瀬舟(長さ13m幅2m) |
| 大黒橋を渡って更に進むと左手に瑞泉寺があります。瑞泉寺は豊臣秀次とその一族の死を悼んで建立されたお寺です。秀吉の 甥である関白秀次が謀叛の罪により高野山で自害させられました。追って秀次の子供5名と正室や側室、侍女などの女性34名 が当時三条河原の中州となっていたこの地で処刑されました。境内に秀次公の墓と一族の墓が建立されています。 |
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| NHKの大河ドラマで有名に | 瑞泉寺の本堂 | 秀次公の墓 |
| 元の道に戻り進むと先斗町通にぶつかります。右に折れた少し先に先斗町歌舞練場があります。歌舞練場は芸妓・舞妓の舞踊公演 「鴨川をどり」のほか日本舞踊、邦楽の発表会などイベントの会場として使われている建物です。 先斗町通は北の三条通一筋南から四条通まで鴨川に沿って、南北500mあまりに渡る通りです。幅2mほどの細長い通りの両側に 茶屋や居酒屋や和食、洋食、中華など多彩な飲食店が立ち並び、観光客などで賑わっています。 |
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| 先斗町歌舞練場 | 先斗町通(ぽんとちょうどおり) | 四条通からの入り口 |
| 四条通に戻ったところで街歩きは終了です。歩いて分かったのですが、京都市内中心部の通りは南北と東西が直交する碁盤の目 になっていて、ほとんどの通りに名前が付けられています。交差点では交差する二つの通りの名前の合成で地名が付いています。 例えば、四条通は東西の道路ですが、南北の烏丸通との交差点では四条烏丸、河原町通との交差点では四条河原町という地名に なっています。バスに乗った時は、停留所の名前でバスが何処を走っているのか分かります。 こんな発見もあった京都の旅でした。 |
私は行かなかったのですが、青い点線のある錦市場から錦天満宮への経路は後日、テレビの「ブラタモリ」という番組で 紹介されていました。錦市場の商店の二階の中に、鳥居の先が入り込んでいるなど、面白い通りであったようです。 見逃したのが残念でした。 |
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| 嵯峨野は渡月橋で有名な桂川の北部地域(京都市右京区)の地名です。「小倉百人一首」の和歌に詠まれている「小倉山」に 沿って社寺が立ち並ぶ町です。奥には昔街道だった道筋に風情のある茅葺屋根の家などが残っている町並みがあり、昭和54 年に京都の伝統的建造物保存地区に指定されました。 京都駅より京都バス清滝行72番に乗り、愛宕寺前(おたぎでらまえ)で下車(60分)。愛宕念仏寺から嵯峨野町歩きがスタート しました。 |

愛宕念仏寺
| 愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)は奈良時代、稱徳天皇により東山の地に愛宕寺として創建されましたが、その後興廃を繰り返して 大正時代に現在の地に移築されました。しかし太平洋戦争中に無住職になり、台風の被害などもあり荒れ果てて、ついに廃寺となり ました。1955年(昭和30年)仏師で僧侶の西村公朝が天台宗本山延暦寺から住職に任命されて,寺の復興に着手しました。 その後、建物の修復、境内の整備が行われて寺が復興されました。1981年(昭和56年)からは復興祈願に賛同した参拝者が羅漢 の石像を彫って奉納する「昭和の羅漢彫り」が始まり、10年後に1200体となりました。それで、愛宕念仏寺は別名「千二百羅漢の寺」 と言われています。 |
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| 山門 | 表情豊かな羅漢石像 | |
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| 心なごむ羅漢石像 |
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化野(あだしの)は平安時代以来の墓地でした。 化野念仏寺は弘仁2年(811年)、空海が化野に野ざらしになっていた遺骸を埋葬して供養のために千体の石仏を埋め 五智如来の石仏を建て、五智山如来寺を建立したのが始まりとされています。その後、法然が念仏道場を開き、名称 も念仏寺となったということです。(ウィキペディアより) 境内にある8000体の石仏・石塔群は化野に葬られた人たちの墓です。 明治中期に化野の山野に散逸していた石仏を付近住民の協力を得て集められ、配列されました。 毎年8月最終土曜、日曜日に灯明を上げ、千灯供養がが行われます。 |
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| 西院の河原 | 竹の小径 | 六面体地蔵 |
| 本堂の横、水子地蔵を過ぎると高い竹に囲まれた「竹の小径」があります。階段を上がった先に「六面体地蔵」が ひっそりとたっています。 六面体地蔵は仏教の六道を表しているもので、六つの世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人道・天道)で人々を救う姿 を表しています。天道から人道へ時計回りに順に参拝します。真言の「オン・カカカ・ピサンマエイ・ソワカ」と唱えて 水をかけながら参拝すると、罪が洗い落とされるというご利益があるそうで、パワースポットにもなっているようです。 また、西院の河原は賽の河原になぞらえてつけられたようです。 |
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| 平野屋 | 愛宕神社(あたごじんじゃ)の一の鳥居 | つたや |
| (江戸時代から続く老舗鮎茶屋)) | (愛宕山の山頂にある愛宕神社の鳥居) | (江戸時代から続く老舗料亭) |
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| 町並み保存館 | 民家 | 店や |
| (昔の町並みの様子を今に伝える資料館) | (茅葺屋根の家が今も残っている) | (食事処や喫茶、和雑貨の店など多彩) |
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| 八体地蔵 | 寂庵 | 落柿舎 |
| (住民に大切にされています) | (瀬戸内寂聴さんが開いた寺院) |
(俳人・向井去来の草庵跡) |
| 小倉百人一首に詠まれた「小倉山」の和歌 小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆきまたなむ 貞信公の作で、意味は「小倉山のもみじ葉よ、もし心があるならば、今度天皇がこられるまで散らないで待っていてほしい。」 |
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| 愛宕念仏寺と化野念仏寺はしっかり拝観したのですが、時間の余裕がなかったので、町並み保存地域からは見て通り過ぎる ウォーキングになりました。昔、愛宕神社に詣でる人々が行き交った門前町の街道が残っていて、旅人が一息ついたであろう 茶屋もそのままの形で残っていて、なんと贅沢な風景なのだろうと思いました。 祇王寺や大覚寺、清凉寺などの寺院も拝観出来たらよかったのですが・・・。 *写真は古いものなので、今は当時と様子が変わっているものもあるかと思います。ご容赦下さい。 |